最近の話です。
豆さん夫婦は、90歳代で穏やかな認知症だったお父さんの、介護と看病と看取りをしました。
最後の診断は「多臓器不全」という名前が付きましたが、「老衰」ということでした。
1月に「肺炎とインフルエンザ」で入院し、ずっと酸素吸入が外せなくなり、見ているメーさんが「こんなに苦しそうなら、早くお迎えが来てほしい。」と思うくらい苦しそうに見えたそうです。
最後の2週間程は、さすがに話はできなくなりましたが、それまではお見舞いの人が来てくれたらニコニコと対応し、病院のスタッフにも「いつもありがとう。」と挨拶をするようなお父さんだったそうです。
お父さんは、入院して1か月でみるみる痩せて、「即身仏」のようになりました。
その状態から、さらに3か月経って、お父さんは全ての苦しみから解放されました。
「長く生きて、自然に命が枯れていく」その様子を、メーさんは「人が昇華していく」と言いました。
「痛みなどの感覚」「身体という器」も含め、「今の自分」に必要ないものを1つずつ削ぎ落としていって、魂が純化されていき…、最後には何も残らないような「死」…
人は「死」に、何を思い、何を考えるのでしょうか。
僕たち野生の生き物にとって、 「死」はとても身近にあります。
死ぬことは生きることと同じ、「死」もまた「生」の一部でしかありません。