吉野ヶ里遺跡は、弥生時代700年のすべての時期の遺構や遺物が発見されている、学術的価値の高い遺跡です。
その中でも、弥生時代が最も栄えたと言われる「弥生時代後期後半(紀元3世紀ごろ)」を復元して、公開されています。
....僕は駐車場で待っていました。駐車場には木陰がいっぱいあったので、僕は濡れタオルと扇風機で快適に過ごせたよ!...
こちらが全体のマップです。
今回は「環濠集落ゾーン」の一部を見学しました。
入り口の門
上には鳥の飾り物が乗っています。
これが「南内郭」の櫓からみた環濠集落内の景色。
屋根が直置きになっているように見えますが、あの下は半地下になっていて、人が立ち上がっても生活できるようになっています。
櫓から外側を見ると、堀が掘られて柵で仕切られた「環濠」の様子がわかります。
1700年前の人も、この景色を見ていたのでしょうか...遠くの山がきれいです。
「南内郭」を出てしばらく歩くと、
ここは「甕棺墓列」です。
亡くなった人を素焼きの甕に入れて、素焼きの甕で蓋をして、埋めたそうです。
ここは野ざらしになっていますが、すぐそばには現状を保存してある「北墳丘墓」があって、そこからは青銅の剣やガラスの管玉は見つかっています。
紀元前からの歴代の王や身分の高い人が葬られた、特別なお墓です。
「北内郭」に向かいます。
ここは掘りが二重に掘られ、柵が二重になっています。
中央の大きな建物は「祭殿」です。
ここは、政(まつりごと)が行われた、最も神聖な場所だそうです。
3層の建物ですが、高床の部分が巨大で(一番下の梁の高さが1500mmくらいあったと思います)、実際は4階建の建物くらい大きいです。
2階に首長が集まって...
3階では巫女さんが占いをして、そのお告げを2階に伝えて、物事が決まっていったそうです。
豆さん夫婦は.....
「ごっつい柱使ってるなぁ。ナグリ(カンナの当て方です)がきれいやなぁ!一本で太い梁やなぁ...。こんな良い木を使った家に住みたいなぁ。」
と、きれいな建物の興味を走らせていました.....
さて、
祭殿の上の飾り物にも鳥の飾り物。
鳥に対する憧れか、神聖なものだったのか、魔除けなのかしら....
僕たちスズメは、こういう建造物は大好きです!
何羽ものスズメが遊んでいました!....どこにいるか見えますか?...
「北内郭」から外に出る門の上にも、鳥がいました。
初夏の、とても天気のいい、暑い昼下がりでした。